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彼氏の浮気がきっかけでうつ病へ。でも他人の気持ちがわかるようになった
「大学時代に同棲していた彼氏が浮気。それがきっかけでうつ病を発症しました。それまでは、別に浮気されたとしても、最後には自分のところに帰ってくればいいよね、というとような、ちょっと大人っぽい事言ってたんです。耳年増だったんですね。
でも、いざ自分が浮気されたら、もうダメでした。居ても立ってもいられなくなり、自分を抑えられず、鏡を3枚くらい割りました。嫉妬というよりも、「許せない!」という気持ちと「何故?」という気持ちが、いりまじって頭がおかしくなりました。サークルを3つ掛け持ちするぐらい精力的に活動してきたのですが、その後、一変して何もやる気がなくなってしまいました。
大学は早稲田の教育学部。授業料も自分で払っているから、成績が落ちたらもったいない。そう思って優や秀の成績をおさめて頑張っていました。だからこそ、頑張ってきた私がなぜこんな目に?という感覚で、涙が止まらなかったですね。」
携帯を見てしまって、彼氏が同じサークルの後輩と浮気していると悟った嶋さん。その後、サークルに足を運びます。
「そのとき、私は卒業していましたが、彼氏は大学4年生でした。そして浮気相手は大学1年生。どんな子か気になって、サークルへ見に行きました。
そしたら、正直、全然かわいくない男っぽい女の子で・・・余計に、腹立ちました。」
失恋のショックがきっかけで、嶋さんはうつ病を発症します。23歳の夏でした。
「でも、よく考えると私の性格がきつかったのです。何かあるたびに、こうしてくれないともう別れる、なんでできないの?ということを言ってしまい、彼をとても傷つけていました。
やりたくてもできない人の気持ちが分からなかった。
(自分で言うのもなんですが)何でもできてしまうタイプだったので、やればできるじゃないという考え方がありました。できない人の感覚がわからなかったのです。
でも、うつ病になって苦しんで、思いがあっても、体が動かなくて、もがく気持ちがわかったんです。
だから、私はうつ病になってよかったと思います。あのまま生きていたら、弱い人の気持ちが分からなかったから。あのころは、やる気がまったくなくなってしまって、人生終わったなという状況でしたけど(笑)」
新聞奨学生からホステスへ。親からの“自立”を目指して
親と衝突していた10代。嶋さんは、自らの力で進学しようと決意します。
「もともと、新聞奨学生として上京しました。新聞奨学生ってご存知ですか? 新聞を配達しながら奨学金をいただいて学校に行ける制度です。新聞配達をすればお給料ももらえるし、住む場所も配達所で手配してくれるし、大学にも行ける制度がありました。
父は真面目で硬い性格だったので、好奇心旺盛で、新しい考え方で突き詰めて質問していく私とは、話しが合わなかったんですね、というより答えられなかったんです。母にも『あなたの考えることは難しくてついていけない』と言われていました。」
お金が大変だから福島の大学しか行かせられない。と言われていたので、大学の進学費用を調べたら、両親が大金を払ってもらっていることに気づいてびっくりした、と言います。
「そのときに初めて、お父さんごめんね、私が生意気だったと反省しました。だからこそ、父にものを言うなら、独立しないといけない。新聞奨学生なら自立ができると思い、制度を利用しました。
でも、新聞配達って大変!朝型でしたので早起きは得意でしたが、問題は夕刊。15時までに帰らなければ配達に間に合いません。授業とも時間がかぶるし、早稲田といえばサークル活動なのにそれもまったくできない状況でした」
せっかくの大学生活を謳歌したいと考えた嶋さんは、新聞奨学生をやめて、ホステスへ転向します。
「勉強と配達を行ったり来たりの4年間は嫌だと考えていた矢先、風邪をこじらせ一ヶ月くらい治らなかったときがありました。それを機に新聞奨学生をやめ、ホステスになりました。奨学金はもちろん返しましたよ。途中、学費面で親を頼ることになってしまいましたが、生活費のほとんどは自分で払いました。コスパのよい物件を借りて、とても節約家でした。
親元にいる人たちは甘ちゃんに見えました。大学生って自分で稼いだお金を全部自分の遊びに使えるから仕方がないとはわかってはいるのですが、周囲の学生は親にあまり感謝しておらず、親の悪口を言ったりしている。そんな点も甘ちゃんに見えたし、何でこんなところで親の悪口を言うんだとも思っていました。でもそれは、私のおごりでしたね」
失恋が私を変えた。うつ病発症後もホステスを続けた理由
「失恋後はもう何も手につかず、毎日死にたいって思っていました。大学時代にお付き合いした人との結婚願望はあったので、実家にも2人ほど連れて行ったことがあります。もちろん同棲していた彼氏も、実家に連れて行きました。早く結婚したいというより、いつも一緒にいたいという気持ちのほうが大きかったです。卒業したらこの人と結婚するんだろうなって思っていました。だからいきなりの失恋で、もう大変でした」
それでも自立したい気持ちは揺るがなかった嶋さんは、実家には帰らず、ホステスを続けて生活します。
「ホステスの仕事はつらいです。でも、いろんな人と話せて面白い。最初は全然おしゃべりできませんでした。『かわいいね』と言われても緊張して『は・・はぃ』とうなずいているだけ。でも2、3日したら慣れていました(笑)
お店は転々としましたが、簡単には辞めたくなかったので、どのお店でも半年~1年以上は続きました。水商売って3カ月もったらいいほうって言われるほど、みんなお店を転々としてしまうのです。ママは個性的な人が多いから、合う合わないもあるし厳しい世界なんですよ。それでも、自分のお客さんはいたので、うまく合わせて1年ぐらい続けると、『もっと指名を取れ』とお店からの要求度が高くなります。
私は生活するためにホステスをしているだけだから、そこまでやる気はないし、将来ママになる気もない。それでも、プライド持てる分は頑張っているので、もっとやれって、いわれると、エンジンかかって、改善点を指摘してぶつかったり、お客さんの取り合いでほかのホステスさんから嫉妬されたり。色々ありました。私は喧嘩が好きではありませんが、売られたら買ってしまう部分はありました。でも、辞める理由は様々ありましたね。良い悪いも含めて、ぶつかってみて、色々な考え方や価値観があるんだなと直に分かって良い経験でした。」
(#02 に続く)
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